|編集にあたって|

 近年における人間活動の急速な進展に伴って,地球規模での環境悪化とそれを主原因とした自然生態系の撹乱,および野生動植物の種多様性の急激な減少が国際的に問題となり,1992 年にブラジルで開催された国連環境会議(いわゆる,地球サミット)において,「生物多様性条約」が採択されたことはご承知のとおりである.そして,翌 1993 年には日本政府によってこの条約が批准され,わが国は世界の多くの国々と同様に,野生生物の生息環境を改善し,その多様性を保全する義務を負ったといえる.

 日本では,主に 1960 年代の高度経済成長政策以降の開発行為によって,陸圏はもとより,海洋や河川・湖沼などの水圏においても人為的環境改変・悪化が進行し,少なくない種数の生息動植物の絶滅や生息場所の減少・個体群の縮小などが派生し,その現象は現在に至っても進行度を増す傾向にあるといえる.例えば,1999 年に環境庁から発表された日本の絶滅の恐れのある野生生物レッド・リストによると,その種数は増加し,淡水魚類では全生息種数の 1/3 近い種数(約 80 種)に達している.

 一方,食用,観賞用,スポーツフィッシングの対象などの目的で,またそうした移殖時における混入や迷入によって,日本に移入し定着した外来魚(広義では,移入魚)は,国内移殖や密放流などの手段を通して,わが国の河川・湖沼水系にさまざまな分布の広がりと,新しい生態的ニッチを獲得してその数を増し,現在では,30 種を越えているといわれる.

 こうした外来魚の中で,1900 年代初頭から日本への移入が確認されてい るカワマス Salvelinus fontinalis,タイワンドジョウ Channa maculata やカ ムルチー Channa argus などに加え,1920 年代以降には,オオクチバス Micropterus salmoides,コクチバス Micropterus dolomieu,ブルーギル Lepomis macrochirus などの魚食性外来魚が移入して,その分布域を拡大し,河川・湖沼の在来魚類群集と自然生態系に大きな負の影響を与えるという事態にいたっている.このうち,北アメリカから移殖されたサンフィッシュ科オオクチバス属の近縁種,オオクチバスとコクチバスは一般にブラックバスと総称され,ともに最近のルアーフィッシングの流行に伴って顕著になった密放流などによって,急速に全国に分布を広げたことはよく知られている.

 日本魚類学会では,こうした捕食性外来魚の現状を科学的に正しく把握し,魚類の多様性と水圏環境を維持・保全する目的をもって,2001 年 1 月に自然保護委員会を設置した.その後,2 月 9 日には「今後のブラックバス政策に関する要望書」を,日本鞘翅学会,日本蜻蛉学会とともに,農林水産大臣,北海道および沖縄県を除く各都府県知事,ならびに各都府県漁場管理委員会会長に提出し,また水産庁長官には面談の場で本問題の解決に努力するよう,強く要請したところである.

 また,同年の 6 月 30 日には,日本鞘翅学会,日本蜻蛉学会,および生物多様性研究会の後援を得て,日本魚類学会自然保護委員会の主催で公開シンポジウム「ブラックバス問題を科学する−なにをいかに守るのか?」を,国立科学博物館分館において開催した.その主な目的は,オオクチバスなどの生物学的特性と分布の現状を正確に把握し,また,それらが自然生態系や魚類をはじめとする在来水生生物にいかなる影響を与えているのかを科学的に究明することにより,生物多様性の保全に寄与することにあった.

 本書は,上記のシンポジウムで話題提供された中から,現在では社会問題化し,また現在でも河川・湖沼生態系に強いインパクトを与え続けているオオクチバスに焦点を当てた課題を取り上げ,これまでの研究成果を基盤にして,新たに執筆された原稿をとりまとめたものである.

第 1 章では日本に移入されたオオクチバスとコクチバスの分類学的位置および移入経路について紹介される.

第 2 章は原産地の北米におけるオオクチバスの生活史と生態を概観するとともに,日本に移殖され定着した本種が新たな湖の環境へどのように適応してきたのかを,三重県と滋賀県に位置する 2 つの湖での研究例を基に解説される.

 第 3 章から 6 章までは,日本の各地におけるオオクチバスによる魚類・トンボ類などの水生動物に対する捕食の実態とその影響,および在来魚類群集への影響を生態学的・漁業資源学的なデータに基づいて検証したケーススタディーが記される.これらの具体的な実例を通して,オオクチバスが日本の水圏生態系にいかに大きな負のインパクトを与えているのかが理解できるであろう.

第7章は,日本において「ブラックバス問題」に水産学識経験者として当初から関わってきた著者によって,バスフィッシングがなぜわが国で爆発的に流行するようになったのかという背景と原因が解析される.また,主に密放流によって各地に分布が広がり,今では社会問題化したこの問題に対する関係行政機関のこれまでの対応・施策の不十分さが明確に指摘される.これを受けて,第 8 章では,琵琶湖でオオクチバスとブルーギルの生態学的調査・研究を行ってきた著者によって,「ブラックバス問題」を解決するのに必要な先進諸外国での取り組み事例が紹介される.さらに,ブラックバスによる在来生態系への影響を定性的に把握するための調査・研究課題,および本問題解決に向けた普及・啓発活動の組織化などの必要性について,幾つかの重要な提案がなされる.

 とはいえ,移入後およそ 70 年少しを経た今日にあっても,日本に生息するオオクチバス(およびコクチバス)に関する生態学的・生理学的研究は歴史が浅く,まだ十分に知見が蓄積されているとはいえない現状にある.それを承知であえて,本書の刊行を急いだ動機・理由の一つは,わが国において「ブラックバス問題」が上記のようにかなり深刻な状況にあるにもかかわらず,問題の理解と解決の手だてを考えるための適切な科学書が見あたらないことにある.本書の出版が契機となって,「外来魚」からの「在来魚類群集」の保全生物学に関する研究が活発に行われるようになれば,また本問題解決への一つの足掛かりとなれば,その目的の多くは達成されたことになるであろう.  最後に,日本魚類学会の会員ではないにもかかわらず快く原稿を寄せていただいた苅部治紀氏(神奈川県立生命の星・地球博物館)と大浜秀規氏(山梨県水産技術センター)にお礼申し上げる.

   2002 年 2 月 28 日 日本魚類学会自然保護委員会委員長 後藤 晃

 
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