|はじめに|

 サバ類,イワシ類,サンマ,スルメイカなど多獲性の浮魚類を漁獲している大中型まき網,サンマ棒受網,イカ釣り,底びき網などの日本の伝統的な沖合漁業の多くは,経営状態が急速に悪化している.マサバ資源は濫獲状態に陥っているといわれてから久しく,資源状態の低下がまき網漁業などの経営に深刻な影響を与えていると考えられている.しかしながら,サンマやスルメイカについては,資源状態に余裕があるにもかかわらず漁業経営は苦しい.漁業経営に負荷をかけているものは資源の枯渇ばかりではない.
 多獲性の浮魚は漁獲されると,市場のセリを経て,水揚港付近の水産加工基地に原料として供給され,加工されたり冷凍されたりするほか,一部が鮮魚流通のルートに乗って比較的短時間で消費者の口に入る.また,フィッシュミールに加工されて水産養殖や家畜の餌料などになる.
 日本では,第二次大戦後の遠洋・沖合漁業の勃興に伴い地方の水揚基地における水産加工業も盛んになった.しかし,近年,マサバ・マイワシなどの多獲性資源の衰退や,200海里体制の定着による遠洋漁業の衰退に伴う水揚量の減少,人件費などの高騰による経費の増大に伴い,加工業は衰退しつつあり,水揚物の加工能力は低下している.このため,多獲性の資源においては,水揚げが集中すると魚価の下落が起こりやすくなっている.ソナーなど音響機器の性能向上やこれにともなう漁具・漁法の改良により漁獲能力が高まると,この傾向はますます強まることになる.
 資源の枯渇はもちろんのこと,加工処理能力の低下による魚価の低迷も漁業経営の悪化に拍車をかけており,安い魚価を量でカバーしようとすると大量に漁獲しなければならなくなり,これがさらに資源に圧力をかけることになる.このような悪循環を断ち切ろうとして,生産調整の必要性が説かれることもあるが,生産調整により水揚量が減少すると加工用原料の調達が困難になるという連関もある.
 本書の目的は,日本周辺海域の多獲性浮魚資源とそれを主な漁獲対象としている漁業,漁獲物を利用している流通加工業の現状と構造的な問題点を把握し,それに対する技術的,社会的な対策を模索,整理することである.
 2004〜2006年にかけて,はねうお食品株式会社,ニチモウ株式会社,東北区水産研究所などが中心となって水産庁の補助事業(水産業構造改革加速化技術開発事業)として,「未利用水産資源を利用する新漁業システムモデルと新型漁船(工船)の開発」が行われた.この事業では,新しい効率的漁法として表中層トロールをわが国漁場へと導入することを検討するとともに,漁獲物を船上で冷凍あるいは加工して保存性と付加価値を高めることが試みられた.これは,水揚基地の処理能力に100%頼った現在の体制への反省から,漁獲物に船上で付加価値と保存性を付与することにより,水揚げの集中にともなう魚価の暴落を避け,市場を広げて販路の拡大も図る狙いがあった.
 この事業は,当時,資源量が大きいことがわかってきたサンマの利用を念頭において実施されたが,この事業で提案・検討された考え方と対策は,サンマに限らず他の多獲性の資源の利用についても適用できる.本書では,この事業の成果をベースにして行われた平成20年度水産学会春季大会ミニシンポジウム「多獲性浮魚を対象とする漁業生産システムの再構築」の内容を中心にして,新しい漁業生産システムを提案するほか,流通加工業の歴史的変化や,資源管理を漁業生産システムの中に位置付けるための水産エコラベリングの必要性などについてもまとめた.
 I「沖合漁業の生産と流通加工の現状と課題」では,沖合資源と漁業の現状と課題(第1章),漁業生産と水揚金額を決定する主な要因である流通・加工業の関係(第2章),日本近海における未利用資源の分布(第3章)など将来の漁業を考える上で基礎的な事項をまとめた.特に第2章は,2007年5月25日宮城県民会館で行われた東北区水産研究所・水産海洋研究会共催のシンポジウム「資源変動と流通加工の変化に対応した多獲性魚類の漁業生産のこれから」で発表・議論された内容をベースにした.U「資源管理と漁業経営の両立を目指す生産技術」では,最近の漁業技術の発達,特に多魚種を漁獲できる能力をもつ表中層トロールの技術の概要(第4章)と日本近海および公海漁場における応用試験結果(第5章)について述べた.V「洋上における高鮮度加工と付加価値向上の試み」では,サンマを対象にして,水揚価格を向上させるための決め手になる漁獲物の船上加工技術開発(第6章)と時期や海域による品質の変化を把握することの重要性(第7章)について説明した.最後にW「これからの漁業生産に必要な技術と制度」では,将来の漁業に必要な漁船の構成要素(第8章),資源管理を促進させる要素の1つとなると考えられるエコラベリングの概要と実務を紹介し(第9章),資源管理と漁業経営の両立を実現する漁業の概念を提示した(第10章).
 本書は,沖合漁業生産の問題点を直視し,資源から利用までを含んだ総合的な対策を模索しようとする人々に対し,ひとつの産業的な解決策を提案するものであり,本書が将来の漁業生産システムの改善に役立てられることを強く希望するものである.

  平成21年9月
           土屋 孟・上野康弘・熊沢泰生・稲田博史

 
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